施設利用でわずかな成長が次の期待を生むも、一向に見られないその次の成長に自立(就職)して行く傍にいる子達。競争心理と不安に動かされ変化による発達を試みて他施設の利用の併用へと動く。
毎日の行動からとてつも無い大人の行動を見る事がありそれは正に別人とも思える当人に驚いていると次の日は裏切られ普通以下だったりするのである。その別人はどこから来るのだろうか。以前母親さんとの会話で内の子はもしかして障害では無いじゃないかと思うのですがと言う内容と同様、ある日突然錯覚に近い出来事が起こるのです。しかし、発達は一度にやってくるのではなく繰り返しの中で出来たら安定した生活の中に肉眼では判らない程度の進化で何十年の道のりかも知れない、それには安心と言う信頼が条件となる事だけは間違いない。今は亡き初代施設長のシャボン玉の詩がある、触れると壊れるので、そっと、そっと、見つめているのです、と。そしてこの活動は路傍の石に込められていると語っていた。
デジタル社会で結果が優先される中、人間の本質を無視した活動は私達には合わないだろう。
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