こんにちはkoronです。

今回は、最終回のブログとなります。

今回のテーマ「いつでも夢を」は1960年代、橋幸夫と吉永小百合の大ヒットしたデュエット曲ですが、高度成長期時代の工業地帯を舞台に、貧しくとも幸せを求めてひたむきに生きる若者たちの恋と友情と青春が描かれた映画の主題曲です。そこで、今回は私の人生の中の小さな夢についてお話したいと思います。20歳代、長距離競技者として数々のマラソン大会や駅伝大会に参加していましたが、当時の長距離ランナーの最大の夢は「青東に出る」でした。青東こと東日本縦断駅伝競走大会は1951年から2002年まで続きました。総区間55区間、759㎞青森県庁スタート大手町読売新聞社ゴールで、首都圏の大学生は箱根駅伝の前哨戦ともいわれました。一人、15㎞から20㎞の距離を一日おきに2回から3回を走り青森から東京まで襷を繋ぐ大会です。伴走車がつきっきりで激を飛ばし精神的にも過酷な大会でした。青森県代表になるためには過酷な合宿と2度の予選会20㎞ロード10位以内を突破した者20名が選出される、当時としては最大の規模と歴史ある駅伝大会でした。朝、5:00からの山岳コース10㎞ロード練習、夜残業を終え7:00頃から勤務地に近い長根グランドで10㎞のスピード中心の練習の日々で、自分自身やケガとの闘いでした。青森県の競技者ランナーは圧倒的に自衛隊職員が多く当然、陸、空、海の自衛隊の方々が選出されていました。その方々に勝たなければ選出されないと思い必死に夢に挑戦して、なんとか出場させていただき夢を叶えることができました。凡人の自分も夢を実現できたのできっと誰でも自分なりの夢を叶えることはできると思います。いつでも夢と希望を持って歩いていきましょう。

短い間でしたが、理事長はじめ多くのスタッフに良くしていただき本当にありがとうございました。

今後益々のユートピアの会の発展を祈念して挨拶といたします。本当にお世話になりました、ありがとうございました、また、いつかお会いしましょう。

 

 

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