みなさん、こんにちは。ジョイフルの里帰り娘です。

今年は戦後80年ということで、終戦記念日を中心にテレビや新聞でも、さまざまな報道、特集が組まれていました。
個人的なことになりますが、私の母方の家族は満州引き上げで、祖父はシベリア抑留後、戦後数年してから帰国しました。孫の自分が今こうして生きているのは、ある意味、本当に奇跡的なことだと、いつも終戦記念日のたびに思います。

私が社会人2~3年目の頃、広島の平和記念公園や原爆ドーム、平和記念資料館を訪問したことがあります。高校の修学旅行以来、2度目の訪問でした。
平和記念資料館に入ったとたん、まわりをびっしり修学旅行の団体に囲まれてしまいました…内心「あぁ~タイミング悪かったなぁ」と思っていたら、あちこちから、とても懐かしい、耳なじみのいい“なまり”が聞こえてきました。

え!? と思い、よくよく学生たちを見ると、懐かしい制服に懐かしい校章のバッジ…なんと母校・八戸東高校の生徒たちだったのです。青森からずっと離れた広島で、偶然出逢った母校の修学旅行。

大学の教育実習で母校に行っていたこともあり、まわりを見渡すと、実習の際にお世話になった先生がいらっしゃって、思わずご挨拶しました。

これもまた、原爆投下の8月6日になると、平和の祈りと共に思い出すエピソードです。

その広島の写真はないのですが、こちらは長崎の平和祈念像。

右手は原爆の脅威を、左手は平和を、そして閉じた目は犠牲者の冥福を祈る意味が込められているそうです。2017年の3月11日に訪問しました。3月11日、時間が東日本大震災の発生時刻だったこともあり、ここで黙祷したのを覚えています。

普段通りの生活を送れていること自体が、奇跡。前後80年のいろいろに触れながら、そんなことを実感する8月です。

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