ジョイフルのsamehoyaです。

15年前の今日、公立病院で医薬品市販直後調査の契約があり、国道4号を納車されたばかり

の車で気分よく走らせているときに遭遇しました。

車体は大きく揺れ、国道や電線は大きく波打ち、多くの沿線住人らが家から飛び出してきた

光景は、今でも目に焼き付いてます。

深夜に会社から家族帯同で県外退避し、30日間の業務自粛する旨の一斉メールがあった

こと。その後、社内の有志で気仙沼市へボランティア活動に行ったこと。

決して忘れる事のない2011年3月11日です。

それからの3月11日は、夕食はストックしている非常食や缶詰めをろうそくの光の下で

食べ始めましたが、いつの間にか途絶えてしまい現在に至ってます。

今夜帰ったら妻に当時の話を相談してみようかなぁ~。

 

 

コメント

アスファルトが波打つような地震は後にも先にもあの時が初めてでした。3.11以降災害に対する捉え方、意識が全く違うもののようになりましたよね。風化させてはならないという思いと、被災した当事者家族からはもうそっとしておいて欲しいという思いを持つ方もいらっしゃると聞きました。どちらも尊重すべきものだと思います。経験をせめて教訓として、これからも備えていきたいですね。

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