「机さする」
なんとなく最近頭から離れないワードです
何度も聞いているうちに、いつの間にか耳に馴染んでしまう
最初は不思議に感じていたものも、繰り返しているうちに、それが当たり前になっていく
人間の慣れというのは、なかなかよくできたものです
仕事でも、経験を積むことでいちいち考えなくても対応できることが増えていきます
これまでの経験があるからこそ、先を予測して動けることもあります
一方で、慣れることによって考える機会が減ってしまう事もあるのかなと思います
例えば、利用者さんから「今日は仕事を休みたい」「ちょっと気分が乗らない」と相談されたとき
私自身、身体を動かしているうちに気持ちが切り替わることも多いので、
まずは無理のない範囲で仕事に取りかかってみましょう、と提案することがよくあります
実際それでうまくいくことも少なくありません
声をかけたあと、仕事に取り組み、帰る頃には明るい表情を見せてくれる
「今日も頑張れた」という様子を見ると、こちらもほっとしますし、あの声かけでよかったのだと思います
だからこそ、つい同じような対応をしてしまうのかもしれません
けれど、ふと思うことがあります
仕事に取り組めたという結果だけで、そこに至るまでの気持ちまで分かったつもりになってはいないだろうか
本当はもう少し話を聞いてほしかったのかもしれない
あるいは、背中を押してもらえたことで気持ちが楽になったのかもしれない
本人にしか分からないこともきっとあったでしょう
もちろん、気持ちに寄り添うことがいつも最善の結果につながるとも限りません
声のかけ方ひとつでかえって気持ちが沈んでしまうこともある
だからといって、これまでの対応が間違っているというわけでもありません
これまでの経験を生かすことと、目の前の相手をよく見ること、その両方が大切なのだと思います
結果がよかったことに安心するだけでなく、その過程にも目を向ける
自分の中にある「いつもの対応」を大切にしながらも、
それが今、この人にとって本当に必要なものなのか、ときには立ち止まって考えなければとふと思いました
……ところで、「机さする」何とも平凡な言葉です
華やかさもなければ、格好よさもない
どこか生活の片隅に置き忘れられたような、そんな哀愁を感じます
人の心に残るものは、必ずしも立派なものや意味のあるものばかりではないのでしょう
何でもないものの中に何かを感じ取る
そんな感覚や余裕は、忙しい日々の中でも失わずにいたいものです
……いや、やっぱり何でこんなに気になるんでしょうね













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