おばんです
ジョイフルSです
先日、友人が亡くなりました
以前働いてた施設の利用者さんで、
ジョイフルにも短い期間でしたが利用者として籍をおいた事もある方です
言葉を理解する事は出来ますが発語は無く、
車椅子を使用して座位を保てるものの自分で動く事は出来ませんでしたが
好奇心旺盛で誰とでも仲良くでき、
いつもニコニコしていて皆に好かれる存在でした
30代を目前にして亡くなった彼は生まれつき身体が弱く、
ご家族はむしろこの歳まで生きていられるとは思わなかったと話していました
この業界にいると少なからずこういった重い障害の方との出会いはあるのですが、
やはり若くして亡くなるという事の無念は言葉になりません
よく、「虫の知らせ」という言葉を聞きますが
しばらく連絡をとっていなかった養護学校時代からの友達が
突然彼に連絡を取りたいと電話をしてくる事があったり、
離れて住むおばあちゃんが急に様子を気にして
電話をよこすという事があったそうです
彼のお母さんは
「やっと自由に動けるようになって、
皆の所に会いに行ってるんだわ」と
仰っていました
彼の事を思い出そうとすると、
満面の笑みを浮かべた表情ばかりが浮かんできます
胸にぽっかりと穴の開いたような
この感情を表現する言葉は見つかりませんが、
ご家族の姿を見て
障害と共に生きる、という事を改めて考えさせられました
身体障害の子供を抱えた夫婦からボランテアの依頼があり行く事に、それは一つの法則に従い手足首を動かす事で脳の回復をさせると言うものでした。三人で号令をかけながらその子の体を複雑に動かす重労働は勿論
、当人も苦しく声が出ないにも苦痛が感じられ父親は汗を流し、いや涙だったかも知れない頑張れと叫びながらやっていた。何年か続けたがあまり効果が感じられず衰えて行く表情には私に対する親しみか安堵感かが感じられ
その先の運命を受け入れている様に見えた。その後夫婦からもう来なくてもいいよと泣き声で連絡が入った。現実にうちのめされ自分の無力さを責めた二十代の頃の事を思い出した。ユートピアを続らける原動力はそんな過去の一つ一つにあるかも知れない。決して同情では無い・・・