今日は父の命日。墓参りへ出掛けてきました。
凍るので水は入れずにお花を供えて。
日本酒が大好きだった父は晩酌を欠かさず、
6時きっかりにちゃぶ台の前へ座り、
二合を冷やで美味しそうに味わっていました。
よく戦争の記憶が甦るのか、酔うと話が止まらなくなり、
子供たちは毎晩聞かされるのでした。
千島列島で終戦を知り、迎えにきた外国船は北へ進み、
シベリアに抑留され捕虜収容所で4年間を過ごしたこと。
伐採作業、レール作り、食事は一日黒パン一個だけ。
作業の合間に凍てついた大地に耳をあてると、
遠く数キロ先に住むシベリア人のジープの音や、
地響きや、動物たちの声がきれいな澄んだ音になって伝わってきたとか。
毎晩月を眺め、ときには美しいオーロラに見とれ、同僚と肩を組んで、
日本の歌やロシア民謡をよく歌ったことなど、
子供の心にも焼きついた父の思い出話です。
大正生まれの人ですね、シベリア抑留者で帰環した人はそこでの出来事を話したがらない人が多く私の知人も酒を飲むと話す人でした。いくら酔っても言えない事があった様に思います。それが知りたく関係する本をあさり強制労働、赤の思想 シベリア鉄道等が判りましたが収容所では厳寒極限の重労働には日本人しか使える者がいなかったと言う事です。ドイツ人を上回る精神力か人間を超えた超人力か死ぬより生きる魂を持った人が帰還したと言われおります。その人の得意の話はビタミンを摂る為肉を生で食べた事でした。それは何の肉ですか?には答える事はありませんでした。