先日、掃除支援の為、Sさんのグループホームを訪問した。
前回の課題として、日用品と洋服の分別、整理整頓の声掛けをしていた。
その課題は果たせていた。
しかし、もうひとつの課題:掃除機かけ。
掃除機をかけた形跡は無く、更には洗濯物なのか?洗濯した物なのか?
判別不能な衣類が部屋に混在。
袋を2つ用意し分別することから始めた。時間をかけて、スタッフが一緒だと何とか整頓できた。
以前の担当スタッフということもあってか緊張感は0。
そもそも、本人自身が必要性を感じていないのだから、この支援は意味があるのか。
支援する側も機械的になっていないか。
仕事だからやり続けているのではないか。
「馴れ合いだ。」
この「馴れ合い」を乗り越える為には?
恩師の言葉を思い出した。
「心は形を求め、形は心を進める。」
若き頃から、自分は社会福祉に対しての熱意があった。熱意は形を求め、社会福祉の学舎へ進学したはず。
形は心を求めないまま終わってしまう危険性がある。まさに、その状態だ。
思いやりは最低の必要条件。
勉強の面でもテクニックの面でもプロフェッショナルでなければ、思っていても相手には通じない。
「初心、前進。」今というベクトルから始めよう。
やたら難し言葉ですねー でも、本人が必要か必要でないかは論外で自立の為には不必要な事は無いと思うので逆に必要性を理解させる支援が求められるのでは。人それぞれ個性がありマニュアル通りには行かない、プロに必要とされるのは「技」だ。誰にどんな技が有効か、技の数の積み上げにはマンネリと妥協は無い。そうだ心技一体と言う言葉がある