タイトルとしては難しく感じますが、しばらく聞く事がなかったのですがここに来てマスコミに登場する様になりました。
これは昔の制度ですが優性保護法と言い育児、教育が困難と思われる男女カップルに子供が出来ない様に避妊を施すと言うものでした
これにより家族、社会の安定化を図るとしていましたがしかし、それ以後に結婚、同棲を避ける方向に進んで行き現在に至っていると
思います。これを優性思想と言いますが主に知的障害者が対象になっていますが普通であれば差別であり人権侵害として問題ありと
思いますが、今北海道の福祉法人の経営するGHで結婚を希望するカップルにこの避妊を条件とする事が問題としてアップさ
れております。法人の言う事は施設は利用者の為ものものであり子供は対象としてないし、子供が生まれたとしても育児、教育は現状
では出来ないと言う。私達もご父兄の会合等では結婚させたい願望がある様に、現場にいる者としてその現実と平等の権利の狭間で
どうあれば良いのか議論しなけばならないと思います。これに対するコメントを待ってます。
保護者様の中には、子供を結婚させたいとお考えの方や、自分たちが亡くなった後の子供の生活のことを心配されている方が多くおいでですね。
前者については、結婚している利用者卒業生さんもいますし、事業所利用者さんの中には、既婚者や既婚経験者の方も何人かいます。
卒業生は事業所がお手伝いしなくても大丈夫な環境にいますし、利用者さんの既婚者は、失礼ながら既にそのお手伝いをする心配のない方たちです。
とは言っても、それが現実的になった場合、対応には苦慮することが予想されると思います。
保護者様が亡くなられた後の心配については、グループホームの存在が大きいかと思います。現在は「終身型」での入居をしていますが、東京などでは「通過型」と言って期間(概ね2年間)を定めての入居というのもあり今後どのように変化してくのか、心配な部分もありますね。
さて、クルーさんの問題提起ですが、利用者さんの立場と事業所の立場とで見方がかなり変わると思います。事業所が「避妊」を要求するのは行き過ぎの感は否めませんが、職員が育児、教育に携るとなると、事業所の本来の事業目的とは別のものだからできないとの見解は正しいと思います。
やはり行政も一緒になって、この問題の方向性を見出し、利用者さん・事業所双方が納得できるような環境の整備が必要なのではないかと私は思います。
問題が大きくて回答になっているか分かりませんが、私なりの考えていることを書いてみました。よろしくお願いします。
報道されている情報を全て把握しているわけではありませんが、強制されたものではないという本人達の証言もありましたし(自己決定の際の適切な対応がされていればでしょうが)、マスコミが当事者から「不妊を強制され権利を侵害された」という文言の言質を取りたくて仕方がないようなインタビューも見ました。
こういったニュースで「平等」を声高々にうたう周囲の方々が、平等という言葉を本当にその人達の生活を守る為に使っているのかということに疑問を感じます。権利を主張し後押しすることは簡単ですが、その後の責任や義務を軽視しているように感じられます。社会で見守っていくべきと識者は言いますが、現に今問題に直面する人に対しては何の救いにもなりません。
もちろん、施設側が人格を否定するような発言やそれを強制したということであれば施設は非難されて然るべきです。が、そこで利用をどうするかはご本人にも選択の権利があったはずですし、子供を含めた世話までは出来ませんという提示自体は施設には必要な事と思います。
地方だから施設の選択肢が少ないということであれば、それこそ責任を持ってバックアップしてくれる施設や団体を探すタイミングではないでしょうか。でなければ、この事業所を非難し要求が通ったとしても、この先の安定した生活は現時点は非常に困難だと思います。
私は今から30数年前、会津若松市の短大に通っていました。社会福祉学科に所属し、ゼミはボランティアゼミでした。その頃、恩師に熱い心と冷たい頭で行動するようにと教えられていました。ゼミ生の活動の一環として障害をお持ちの夫婦のサポートをしていました。その方々は施設を利用したことは無く、保護者がいない在宅の方々でした。公的サービスとしてはヘルパーを利用していましたが、時間数が足りないので、そこを私たちが昼夜問わず、ボランティアに入り補っていました。短大生は2年経過すれば、ほとんどが地元や関東圏に就職してしまうのですが、支援は先輩から後輩へと脈々と受け継がれ、切れ間の無い支援をしていました。妊娠し出産をむかえることになった時点で、手厚い支援を受けることができる東京に引っ越しするということになり、私たちの支援は打ち切りになりました。ユートピアの会に入職し、グループホームの業務に携わり始めたころ、入居者同士の結婚や、その方々の間に生まれた子どもの育児に関する支援を積極的に行っている社会福祉法人の職員とお会いしお話しする機会が恵まれました。熱い心をもった集団が一丸となって利用者の方々の幸せを第一に考え支援していることを知らされると共に、自分にできるだろうかとも思いました。利用者が望むライフスタイルを応援したい気持ちがあっても個人の力は小さいものです。スタッフ間の温度差があっても成り立たないと思います。法人として支援していくとなったらそれ相当の覚悟が必要だと思います。
この様な騒動は印象操作の様な気がします。社会には様々なハンディを抱えた人達がいてそれらに対応する保護、支援体制がありそれを利用する事で理想的な処置がなされる仕組みで、これが福祉と思います。
この福祉から悦脱した視点で考えるのであれば施設入所から勿論グループホーム入所も人権侵害に該当する事になる。ノーマライゼーションの影響もあり比較的にも自由に行動できる様なった皆さんしかし、ハンディの為に起きる社会とのトラブル、市営バスとのやり取りがあった様に社会の安定を保つ事も要求されます。その対策はその処置一点ばかりに集中するのではなくグローバルな視点が要求されます。大切な事は法人の行った行為は福祉かどうかであり行政監査はその為に行われたと思うのです。又、全ての社会福祉法人への問いかけでもある様な気もします。