戦後70年、安保問題とか首相談話でメディアは忙そう、言論の自由からさまざまな論評がなされ「しゃべる」事の時代に映る。私たちの福祉の世界でもこのしゃべるが横行している。しゃべる人が目立ち称賛を浴びる。それがレールとなりいつの間にかしゃべった事が流行りとなっている。
ある職場の求人面接の担当者の話を聞いた、ある若者の面接で自分の質問に的確に期待通りに返答してくる、それは空恐ろしいくらいであった。人生経験から考えて成し得る事ではない、間違って当たり前だ。結局、不採用とした。この様なしゃべりを見抜く人が居る事で本物とか真実が見えて来るのでしょうね。
平和を求める法律に、違憲とか違反とか指摘する中で民衆は戦争を起こそうとする政府に反対とデモする。皆の考えにピタッと合った法律はあるだろうか?政治関係者も戦争を望んではいないと思うが
ゴルゴ13に出てくる一場面に、戦争は無教育の中で発生すると言っていた事が思い出される。しゃべりだけに翻弄されず真実を見る心の教育が平和の通り道かも。
どんな立派な法律が出来てもそれを守れる人間がいない限り、東京御茶ノ水交差点横断歩道で赤信号を怒涛の様に流れて行く人達には、それから何の抵抗も無くゴミをポイ捨てする人達には通用しないのではと思い戦争の芽はそんな隠れた所から生まれるのではないだろうか。
盛夏
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