障害者19名の惨事に憤りと挫折感に襲われた。私たちの活動が真っ向から否定された事件に過去の出来事が浮かぶのです私たちがボランテア時代、当時の政治家が障害者は国家の損失であると説いたのです。純粋な気持ちの活動にいきなり理解に苦しむ様な問題発言は若い人達に考える機会を与えた。勿論何の為にボランテア活動をしてるのかも含めて議論はエスカレートし一つの答えに集約されたのです。望んで障害を持って生まれて来たのではない、だけど生まれてきたからには生きる事が自然であり生きる事の手助けが必要だから自分達の活動があるのだと。しかし、核家族化の中で老人とか障害者とか病人と接触する機会の無い人達は初めて見る印象は汚いとか怖いとかで人間として見る価値を失っている歪んだ心は意外と多いと思われる。
たった一人しかない自分、たった一度しかない一生を生きているうちに活かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか、と昭和の初めの詩を持ち出す時が来た様に思う
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