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みなさん、こんにちは。ジョイフルの里帰り娘です。
暖かい日が続いていましたが、少し寒の戻りの週末です。
こちらは種差海岸の福寿草。天然芝生地の小川付近に咲いています。
「花」にも春、「鼻」にも春…鼻に来る春はスギ花粉のせいで“くしゃみ”連発、やっかいな春が絶賛到来中です。
さて、今日は小雨降る中、ポスティング作業の日でした。利用者さん3人と、カッパを着てテクテク今日も約1万6千歩ほど歩きました。
利用者Оさん、歩いている途中、道端にあった空き缶に気づき拾い上げました。
心ない誰かがポイ捨てしてしまったものかもしれません。「ごみです。ごみです。」と何度も言いながら、(自販機の横によく設置してある)リサイクルのごみ箱がないか周りをキョロキョロしましたが、残念ながら近くにはなく、でもごみをそのままにできないと思ったのか、その後、かばんの隅に入れて持って歩いていました。
ポスティングも終わり、福祉の駅まで戻ってきた際、さっきのごみ捨てるよ~と言わんばかりに、にっこり笑って空き缶を見せ、自販機横のリサイクルごみ箱に捨てていました。
ごみ拾っていいことしたね~と話すと「ぼく偉いです。偉いです。」と繰り返し言っていました。
作業の合間の小さいボランティア♪
Оさんは普段でも、スタッフやほかの利用者が重い資源を運んできた時などにも、気づいてスッと立ち上がり、率先して手伝ってくれることがよくあります。「ありがとう」といつも声を掛けています。
こうした優しい気づきを、これからも大事にしていってほしいです。
春らしくなって来たこの頃です。
みなさん 外に出かけてみませんか ⁇
種差海岸にいるたくさんの野鳥を見つけてください。
ウミネコ・オオセグロカモメ・ウミウ・イソヒヨドリ・ハシボソガラス
・ハクセキレイ・カワラヒワ・ウミアイサ・シノリガモ・セグロセキレイ
・クロガモ・ハギマシコ 等々観察が難しい野鳥もいます。
🎶 a、ウミネコと b、カモメとの違い 🎶
a、 ウミネコは八戸市の鳥にも指定されているなじみ深い鳥ですね。
くちばしの先端が赤いことと、足が黄色いことでカモメと区別する
事が出来ます。たね坊のモデルです。
<カモメ科カモメ属>
b、 オオセグロカモメはウミネコそっくりですが、足がピンク色なので
わりと区別し易いです。
八戸では普通にみられますが、東日本では数がかなり少ないようです。
ウミネコさんには蕪島でも見られます。是非ともお出掛けして見て下さい。
営業のmです。
大分気温が上昇して、ようやく春の兆しが見えてきたようですね。
南の方では、桜の開花がニュースになっていますが、青森はもう少し先の楽しみですね。
いつも私に色々な写真を送って来る宮崎の友人から、すぐ近くで林野火災が発生したと
連絡がありました。焦げ臭いにおいが風に乗ってきたとのことで、心配していました。
火災の発生現場は、友人の住まいから10㎞も離れていないところのようでとても
心配でしたが、鎮火したということで、ほっとしました。
各地の林野火災も心配ですね。
私は「サテライト・ユートピア」の担当で、毎月6日以降の月曜日と木曜日の午前中は、
サテライトで業務を行っています。
なかなか「サテライト」のPRをする機会がないので、今日はサテライトを紹介します。
「サテライト」とは、英語で「satellite」と書き、「衛星」「人工衛星」「衛星テレビ」
「衛星国、衛星都市」や「本社から離れた場所にあるオフィス」などの意味があります。
「サテライト・ユートピア」は、本部から離れた場所にある事務所ということになります。
中心街の十三日町にあるユートピアビルの1階に、事務所を構えていて、入口看板の横
には、[『障がい者の就労先、就労の体験(実習)等などをご希望の方、利用事業所の相談』
の相談はお声掛けください。]という張り紙をしています。
このビルは、2階がGHトミー3階がGHマーチ、そして1階にテナントとして
「はちのへ若者サポートステーション」が入居しているユートピアの自社ビです。
その1階の一角に「サテライト・ユートピア」があります。
中心街で、面談や打ち合わせをしたいときなど活用できます。
下記の相談以外での使用も可能です・・・中心街にユートピアの会議室があると考えれば
良いかと思います。
主な業務は、障がい者の就労先や就労の体験(実習)等の相談を聞いたり、利用事業所の
相談をしたりします。
また、「はちのへ若者サポートステーション」は、年齢が49歳までの現在ニートの方が
社会復帰する相談支援を行っており、その支援をする中で、障害者手帳を取得した方が
良いのでは!?と思える方や、すでに手帳を保持している方たちがいる場合、
「サテライト・ユートピア」に繋いでいただいて、
ユートピアを利用するための相談を一緒に進めていくことができ、その役割は大きなものに
なります。
開所時間内であれば、お気軽に相談においでいただけますし、時間外でも予約いただければ
その希望の時間に相談をすることが出来ます。
このような形で、ユートピアの利用者募集のきっかけになる場所の提供と相談の受付を
しています。
この場所は、隣が「ヴィアノヴァ」で、目の前が旧「チーノ」という立地です。
チーノを壊した後の複合施設の建設が始まってしばらく経ちます。
工事は、空きスペースだった半分くらいの場所にも重機が入り、いよいよ本格的になって
来た感があります。しばらくはオープンスペースで、向こう側まで見通せていましたが、
だんだん元のように建物で見通しが効かなくなってきました。
解体が始まる前のチーノ
解体が済んで見通しが良くなった跡地
現在の工事の様子
こんにちはkoronです。
今回は、最終回のブログとなります。
今回のテーマ「いつでも夢を」は1960年代、橋幸夫と吉永小百合の大ヒットしたデュエット曲ですが、高度成長期時代の工業地帯を舞台に、貧しくとも幸せを求めてひたむきに生きる若者たちの恋と友情と青春が描かれた映画の主題曲です。そこで、今回は私の人生の中の小さな夢についてお話したいと思います。20歳代、長距離競技者として数々のマラソン大会や駅伝大会に参加していましたが、当時の長距離ランナーの最大の夢は「青東に出る」でした。青東こと東日本縦断駅伝競走大会は1951年から2002年まで続きました。総区間55区間、759㎞青森県庁スタート大手町読売新聞社ゴールで、首都圏の大学生は箱根駅伝の前哨戦ともいわれました。一人、15㎞から20㎞の距離を一日おきに2回から3回を走り青森から東京まで襷を繋ぐ大会です。伴走車がつきっきりで激を飛ばし精神的にも過酷な大会でした。青森県代表になるためには過酷な合宿と2度の予選会20㎞ロード10位以内を突破した者20名が選出される、当時としては最大の規模と歴史ある駅伝大会でした。朝、5:00からの山岳コース10㎞ロード練習、夜残業を終え7:00頃から勤務地に近い長根グランドで10㎞のスピード中心の練習の日々で、自分自身やケガとの闘いでした。青森県の競技者ランナーは圧倒的に自衛隊職員が多く当然、陸、空、海の自衛隊の方々が選出されていました。その方々に勝たなければ選出されないと思い必死に夢に挑戦して、なんとか出場させていただき夢を叶えることができました。凡人の自分も夢を実現できたのできっと誰でも自分なりの夢を叶えることはできると思います。いつでも夢と希望を持って歩いていきましょう。
短い間でしたが、理事長はじめ多くのスタッフに良くしていただき本当にありがとうございました。
今後益々のユートピアの会の発展を祈念して挨拶といたします。本当にお世話になりました、ありがとうございました、また、いつかお会いしましょう。


















